2020年 2月
今年の冬は暖冬とのことで戸外遊びも比較的のびのびと遊べています。これからも病気に負けず、元気いっぱい遊んでほしいですね。当園は、4月から認可保育園として再出発する予定ですが、認証保育園として10年余築き上げてきたものを更に発展させ、より良い保育を提供していきたいと考えております。この機会にちょうど合わせたように、ある郷土資料館で「保育所の歴史」というような展示がありましたので、見に行って来ました。そこで、保育所の成り立ちを振り返りながらお伝えしたいと思います。
日本で初めての保育所は、明治4年、横浜にアメリカ人宣教師によって開設されました。そして、日本人によって初めて開設されたのは、新潟で「静修女学院附設託児所」という託児施設でした。東京においては、紡績工場が企業立初として工場内託児所を明治35年に設立しました。しかし、企業に託児所のない労働者の子は、祖父母や近所の人に預けられたり、親が帰るまで家で留守番していました。その頃の環境は劣悪で排水路にはふたがなく、下水や工業排水も流れ込み危険な状況でした。その後、東京では関東大震災により託児所が焼失するなどの被害に遭い、それを契機に東京帝大の学生らのセツルメント活動により大正15年には託児所が開所しました。
昭和に入ると、今度は戦争という二度と繰り返してはならない惨事(昭和20年3月10日の空襲)により焼失してしまった保育所もあり、施設ばかりでなく園児や家族、職員も犠牲となってしまいます。戦後は再び保育所の建設が進み、その間紆余曲折ありながらも今の形の保育園(保育政策)が出来上がってきています。
現在は東京都においては公の施設は区立となっていますが、私が保育士(以前は保母という名称でした)として働き始めた頃は、都立保育園だったようで、私の時代から特別区というものになり、一つ先輩までは都職員、私達から目黒区職員(目黒区に勤めたのが最初でした)というように区別されていました。余談ですが、特別区になったお祝いに赤いホーロー鍋を区から頂いたという記憶が残っています。(笑)
「保育所保育指針」が改訂され、「子どもの権利条約」が採択されてから30年など・・・子どもを取り巻く環境は大きく変化してきています。前述のような劣悪な環境というものは改善されてきたかもしれませんが、「いじめ」や「虐待」など精神的に打撃を受けるような環境が子どもの周りにあることは否めません。「昔は良かった」という言葉が年配者から必ずと言っていいほどに聞かれるのは、ある意味、的確かもと思えるのは私が年を取ったせいでしょうか。
認可保育園に移行するにあたって、世田谷区保育課主催の施設長と主任向け研修が1月中に行なわれましたが、「世田谷区の保育の質」ということを厳しく伝えられました。世田谷区で認可保育園を運営していくということを肝に銘じ、研修で学んだことを職員にも伝え、質の高い保育を行なっていかなければという思いでおります。改めて保育園の歴史を振り返ることで“認可へ移行する”という意味の重要性を同時に感じた資料館展示でした。
フロンティアキッズ上町 施設長
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