子どもたちは身の回りの生活に関することを真似して遊ぶことが大好きです。幼児教育では模倣遊びと呼ばれるもので、警察官、お医者さん、美容師さん、ホテルの人など、さまざまです。動物やゲームやアニメのキャラクターを真似て遊ぶこともあります。しかし、子どもにとって真似をすることは、単に遊んでいるだけ、単にエンターテイメントとして楽しんでいるだけではないようです。子どもにとって真似をすることは、その対象となるものの中から、自分のものとして取り入れ、「自分」を形成プロセスでもあるようです。
子どもには大人には無いある能力があります。それは、見たり聞いたりするだけで、それを吸収して、自分のものにしてしまう能力です。コピーするようにしっかりと自分の中に取り入れ、あるものは一生涯残ります。仕草や、物の言い方などがお父さんお母さんとそっくりで、「あの子はお父さんの・お母さんの生き写しだ」という表現が使われることがありますが、これは大変よく当てはまる表現だと思います。子どもたちは本当に周囲から「写し取る」能力を持っているのです。
子どもが身の回りのものごとを正確に吸収するこの能力に着目して、幼少期に英語を学ばせると効果的であるということは、まさに当園の英語教育の根幹をなすことで、言うまでもありませんが、この能力は言語だけにあてはまるわけではありません。言語は表面的に見てわかりやすい部分であるだけであって、氷山の一角に過ぎないのです。
日本では中々見ない状況ですが、大きな貧困問題を抱える国では、子どもを外国に養子に出す、または孤児を海外の慈善団体が国外の里親につなげるという事業も行われてきました。2017年に「ライオン〜25年目のただいま〜」という映画が作られましたが、インドで孤児となった子どもがオーストラリアに引き取られ、オーストラリア人として成長した主人公が、幼少期の記憶を頼りにGoogleEarthを使って自分の故郷を見つけるという実話に基づく映画でした。このような境遇においては、子どもは周囲の環境を吸収する能力、文化や生活様式に柔軟に適応する能力を駆使して、その子は別の文化圏の人間へとなっていきます。
子どもがこのような能力を持っていることで、人類はそれぞれの文化や生活様式を次世代に引き継ぐことができ、その結果文明が、一歩また一歩と前へ進んで来たのでした。こうして何世代にもわたって文明が受け継がれ、日本においても現在の私たちの生活様式があるのです。
このような素晴らしい能力は一方で大きなデメリットをはらんでいます。それは道徳的な判断をする理性を持たずに周囲にあるものを半永久的な影響力を持って吸収してしまうことです。
私たち大人が子どもだった頃、まだインターネットはほとんど普及しておらず、YouTubeを知る人もいませんでした。ゲーム機器もあったとしてもカクカクとしたピクセルで解像度は低いものでした。ビデオテープが擦り切れるまで何度も同じビデオを見て楽しんでいた方も多いでしょう。1ヶ月に何種類ものアニメや動画を見ることなど考えられなかったことでしょう。
2024年現在、現代の状況は一変しています。今の子どもたちは、幼少期において圧倒的なネット社会でバーチャルなコンテンツをふんだんに触れながら生きています。これを一概に悪いことと捉えるわけにはいかないでしょう。子どもたちはこれからますますこの傾向が加速すると予測される世界に生きていくのであって、こうしたものにうまく適応していかなければならないでしょう。しかし、前述ような強力で半永久的な影響力を持って身の回りから吸収してしまうという子どもの人格形成の特徴を考えると、不道徳な要素を含んだコンテンツを野放しにし、子どもたちに見せてしまうことだけは絶対に避けなければなりません。これはなにも明らかに過激なものだけに限ったことではありません。一定の理性を持って扱うことを前提に社会で受け入れられているコンテンツであっても、幼少期の子どもが取り入れる場合には、その子どもの人間性を築き上げるにあたって本当にふさわしいものであるかを十分に大人が吟味する必要があります。
そのゲームやアニメの世界観はどうでしょうか。出てくる人物の攻撃性、その世界のあり方、常に何かに追われているような緊迫感、露出度の高い服装や性的な描写など、子どもたちが自分の価値観や人間性、アイデンティティーを形成していく上で、悪影響を及ぼすものはないでしょうか。現在はこうしたネット・バーチャル社会の黎明期とも言われており、その急速な発展にまだ法整備等が追いついていないとも言われています。こうした中においては、私たち大人は目の前の子どもたちが、健全で品格のある文明の継承者となれるように、理性を持って慎重に道案内をしていくことが大切になってくるでしょう。
Frontierkids Global School
施設長 眞島 拓也