一児の父であり、モンテッソーリ教育を勉強している身として、娘のやりたいことを最大限保障し続ける私の育児は、過保護なのではないかと思う機会がありました。
そこで児童精神科医である佐々木正美先生の書籍を拝読し、過保護の考え方を知ることができました。
佐々木流の「過保護」の考え方とは…
現在の親のほとんどは「過干渉」です。過保護と過干渉を似たようなものととらえている人が多いようですが、全然ちがうのです。過保護は自主的でいきいきした子を育てますが、過干渉は子どもがやりたいと望まないことをやらせすぎてしまうことで、自立の芽を摘みます。
過保護とは「子どもの望んでいることをやってあげすぎてしまう」ということです。子どもにはいろいろな欲求がありますよね。「抱っこしてほしい」「遊んでほしい」「今日はハンバーグが食べたい」そのすべてを満足させ、それ以上のことをしてあげることです。でも、実際には不可能ですね。「明日ね」「いまはムリ」ということは必ずありますから。
だから、本来は過保護になることはできません。なったとしても悪いことではありません。「過保護はよくない」なんて言う言葉はきっと、自分が楽したい人が考えたのだと思います。
人間は「絶対に保護してもらえる」と思うと、伸び伸び行動ができるものです。もしもあなたが 海外に旅行したとき、日本の大使館があなたをしっかり守ってくれると思えば、楽しく伸び伸びと観光できることと思います。でも、大使館の力のない国に行ったら、怖くて外出もできません。
親子関係も同じです。いつでも守ってもらえると思うと、子どもは伸び伸び成長して、自分らしさをあますことなく発揮できます。
自分自身の価値は、他者に評価されることでしか実感できません。幼児期だったら親や先生といった人に愛され、大切にされて初めて「自分は価値ある存在だ」と自覚できるのです。 「過保護に育てられた子は自分ばかりを大事にして、他人をないがしろにする子になる」と考える人も少なくありませんが、それは間違いです。
誰かに大切にされた経験のない子が、どうして他者を愛し、大切にできるでしょうか。自分を大切に思えて初めて人は人を大切にできるのです。
と記されています。
子どもの敏感期を捉え、それに合わせて環境設定を行い、好きな時間に好きな教具を選んで主体的に取り組む。その中で教師が提示を通して教具を使うためのヒントを与えることでのびのびと活動できる。
まさにモンテッソーリ教育は過保護と言えるのではないしょうか!
日本の未来を担う子どもたちを適切に保護していきたいと思います。
参考文献:【「育てにくい子」と感じたときに読む本】佐々木正美 著
Frontierkids Kagacho 峯 龍平