以前のコラムで「個の確立」というモンテッソーリ教育の一つの考え方に触れました。今回はグローバル化する社会におけるその大切さを考えてみたいと思います。
「個の確立」についてもう一度ふりかえってみましょう。例えばある発達段階にあるお子さまが自分の発達に必要な活動に、自発的に興味を持ち、その活動に個別に打ち込んでいる場面です。わき目も逸らさず一生懸命なそのお子さまは、まさにその瞬間に自分というものを確立しているのです。言い換えれば、その作業を通して自分という存在を発見し、それを確かめて、認めて、把握していくのです。そうして自分を「作る」。これが「個の確立」です。やがて発達の道筋として、自分という存在を身の回りの共同体で(つまりクラスの中やお友達との輪の中で)どのように役に立てていけるのかということへ向かっていきます。
自分を知ること、つまり自分のアイデンティティの把握は、この世界における自分という存在の存在意義を知ることになるのです。自分の存在をどんな風に役立てることができるか、これを知ることにつながります。人間にとって身の回りの社会で自分を活かすことができるようになるということはとても大切であり、それは「自己実現」をすることであり、幸せの一つの大きな鍵となるでしょう。
この一連の考え方は、グローバル化社会を生きていくにあたっても、大変役に立つものだと思います。グローバル化という言葉は、本質的には「地球規模でみんなが同じようになる」という意味合いを含み包括的なニュアンスがあります。一方で国際化という言葉は、国同士がそれぞれ別個でありながらも、お互いに関わり、連携していくという意味合いを持ち、本質的には別々であるものが連携を図るというニュアンスです。確かに現在、Apple社やアマゾンなどグローバル企業が台頭し私たちの生活の一部となり、その現象が世界の至るところで起きています。どの都市に行ってもStarbucks やShake Shackなどに行列ができ、人々がスマホ片手にInstagramやTikTok、Xなどの画面を操作しています。包括的なグローバル化社会の性質が見られます。しかし、その一方で、やはり国民性というものもあります。それぞれの価値観や文化はまだ深いところに根ざしています。そしてそれは今後も決して消えてなくなったり、混ざり合って、気にならなくなるということはないのではないでしょうか。
むしろ人間はこうしたものを失ってしまうと、幸せにはなれないでしょう。それは自分が何者か分からなくなる恐れがあるからです。自分が何者であるかはしっかりと分かっていなければ、何が幸せかが分からなくなってしまいます。ここで大切なことがやはり「個の確立」です。グローバル化する社会においても、自分が何者かをしっかりと知ることが大切です。私たちは世界の文化を探索し、それを自由に楽しみながら、その過程でそれぞれの良さ、悪さを体験していくでしょう。それを通して、自国の文化の良さを見出すと、それが自分のアイデンティティとして大切に感じるようになるでしょう。このような意味でも「個の確立」を大切にすることは、今後のグローバル化社会の中で、自分が何者で、どのように生きればいいのかが見えてくる大きなヒントになるのではないでしょうか。
Frontierkids Global School 施設長 眞島 拓也