自由について

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自由について

 モンテッソーリ教育は「自由」というコンセプトをとても重視する教育です。モンテッソーリ活動(お仕事)は基本的に自由選択活動となっています。モンテッソーリ教育の他にもヨーロッパを中心に子どもの自由選択の機会を重視する教育的アプローチがいくつかあります。例えばイエナプランという教育的アプローチを取るオランダの小学校では、子どもたちが自分で一日の時間割を考え、個別に学びに取り組み先生はそのサポートをして一日を過ごすそうです。私たち大人は、まだ10歳にも満たない子どもたちが一体どのように自分で自分を律して、後で自分が困らないような正しい選択をしていくのか不安を感じてしまうかもしれません。ここには私たちの中にある自由に対する疑問が隠されていると思います。


 前回のコラムでも紹介したマリアモンテッソーリの言葉ですが「自立していなければ自由ではありません。」という言葉がありました。日本語の「自由」は”freedom”の他に”liberty”と英訳することができます。自由の女神”The Statue of Liberty”のあの「自由」です。こちらの自由はなんでも好き勝手をするというよりは、人権として保障されるべき自由を示す言葉です。大人が子どもの人格を一つの人格として敬意をもって権利を認めることは大切ですが、それを子どもの好き勝手にさせるということと混同させずに、そのことの間にしっかりと一線を引かなければなりません。

 

 自由を適正に行使して幸せに生きていくことは誰にとっても簡単なことではありません。現実の社会にはこのことに失敗し苦しんでいる大人も大勢いるのです。むしろこの世のすべての問題がここから生じていると言っても過言ではないかもしれません。人間にとって自分の願望に振り回されてしまうこと、つまり自分の衝動や感情をコントロールできずに制御不能となってしまうことは自由ではありません。このような無秩序さの中では、子どもは劣等感や無力感、怒りや怖れを感じてしまうばかりです。


 そこで私たち大人は一定の制限を設けて、子どもの能力に応じて、権利として自由を与えていくというアプローチをとります。自由は与えらるものではなく、能力によって獲得していくものであるべきという考えです。
 

 モンテッソーリ教育の環境には、好きな席でお仕事をする自由、歩いてお仕事を探す自由などの言わば「身体の自由」がありますが、室内で走る自由や大声で騒いで他の人を邪魔する自由はありません。このような行動は制限されます。また、好きな活動を選択する自由や好きなだけ繰り返す自由があり、グループ活動には好きな友達を誘う自由もあります。言わば「選択の自由」です。しかし、現在他の人が使っているものは使えませんし、使い方を知らないものは使えません。使い方を知らないと使えない。ここに能力によってまだ超えられない壁があります。しかし、この壁は徐々に取り払われていきます。


 モンテッソーリ教師がその子どもの発達段階を見極めながら、少し頑張ればできそうというタイミングで適切な時期にその使い方を伝えていきます。子どもには、ある一定の発達の道筋があると考えられますが、この適切な時期に、その発達のニーズと活動とがぴったりとマッチして結び付けられる時、子どもたちはその活動や学びに対する情熱を感じます。興味や期待を膨らませて、その中で自らを律して集中を保ち、何度も何度も繰り返し、上達していこうとします。このように自分の情熱によって自らを律しながら自分を高めていこうとする姿は、子どもが自ら自分らしく発達しようとしている姿であって、それこそが真に自由な子どもの姿といえるでしょう。

 

 大人は子どもの能力や発達の度合いを見極めながら、その子どもたちが扱うことのできる自由を徐々に与えていきます。こうして子どもたちの成長に伴って少しずつ自由の範囲が拡大されていきます。そしてその先にあるのは、自由で自立した子どもたちの姿でしょう。これがモンテッソーリの導き出した子どもの自由に対する理解であり、モンテッソーリ教育の目指す人格教育の大変重要な基盤となっています。このことはモンテッソーリ教育自体がそうであるように、幼児期にのみ当てはまるのではなく、これから先の学童期、思春期、青年期にも通じるものでしょう。

 

フロンティアキッズグローバルスクール

施設長 眞島拓也