「イヤイヤ期かな?」「第一反抗期ついに?」
生まれてきてくれて「ありがとう」から見ているだけで「かわいい」の時期から、子どもの成長段階だと納得しながらも日々の育児をしていると「これはわがまま?」それとも「主体的な行動?」どこまで寛容であればいいのだろうか?と思うこともあるのではないでしょうか?寛容を調べると「心が寛大で、よく人を受けいれること。過失をとがめだてせず、人を許すこと。」とあります。私も自分の子育て中から子どもとよく一緒に見ていた動画「おさるのジョージ」があります。この中に出てくる「黄色い帽子のおじさん」の寛容さには驚きしかありません。(初期の頃の表現と違うところがありますし、おさるさんという設定なのですが)見習う点はあります。かといって、そのまま同じことを当然できるわけではありません。
園での保育においても、子どものこの行動は主体性なの?それとも、単にわがままなの?と見極めながらの言葉かけの時があります。ただ主体的に始めた活動であっても、歯止めが利かなくなり、危険な行動となってしまうこともあります。危険となる直前まで待って止めるか、適切な声掛けの機会を設けるなど保育者側の主体に基づいた行動もその都度あります。
ブランコ1つとっても、乗る時は手を離さないこと、ブランコに乗らない子は前後を通らないことなど前もって伝えることが必要です。「好きに遊んでいいよ~」と公園で放任にするわけではありません。
“子どもが中心の「共主体」の保育へ”という大豆生田啓友先生監修、著:おおえだけいこ先生の書籍を読みました。
共主体とは「子どもと大人の主体がバランスよく共存、融合している主体」さらに言えば「互いに学び、共に成長し合う主体」とあります。
子どもにはそれぞれ発達段階や個人差があり、それを把握した上で、その子の最善の利益を考えて、大人は行動できるようにすることが必要です。
子どもの最善の利益を考えて行う保育が、すなわち、子どもが中心の「共主体」の保育だと著者は言われています。つまり「子どもが中心」は子どもに好きなことだけやらせておくだけではなく、「最善の利益は何か」を大人が考えることになります。
保育・教育の方法として4つが挙げられます。
「Ⓐ自由保育」と「Ⓑ一斉保育」 「Ⓐ見守り」と「Ⓑ教育的援助(指導)」
「Ⓐ非認知能力」と「Ⓑ認知能力教育」 「Ⓐプロセスの評価」と「Ⓑ結果の評価」など、
どっちがいいのかな?と色々な場面で議論されることも多かったと思います。
また園選びで、どっちにするのが子どもにあっているだろうかと父母目線で悩むこともあったのではないでしょうか。
大人である役目として、先まで見て「今」どんなかかわりが必要なのかを判断して対応していきます。共主体的な保育からすると、「ⒶVSⒷ」ではなく「Ⓐ&Ⓑ」になります。活動内容を含む環境などにより、どちらが最善かで選びます。
園の特色として、モンテッソーリ教育がありますが、自由意志のもと取り組むことが多くありますが、枠組みとルールの中での自由となります。イベントや内外共の活動など一斉保育も必然となります。またアクティブラーニングでは、主体的、対話的、探究的な学びの中ではⒶ&Ⓑとなります。
保育士になってからクラス担任として長く子どもたちと接してきた中で、あの時こうしていればとか、なぜこの言葉で伝えてあげられなかったのだろうとか反省したことは多々あります。それでもそれ以上の成長を感じられる子どもたちを見ているので、今もこのように子どもたちと触れ合える場所にいるのだと思っています。
乳幼児期の子どもたちの「未来」を考えると、まずは「命」が無くてはなりません。自分を大切にすることはもちろん、同じように周りの人、物などにも優しくなってほしいと願います。
家庭そして保育園という社会の中で、バランスよく共存、融合していけるように、そして互いに学び、共に成長し学び合えることを発信して行けたらと思っています。
今後とも宜しくお願いします。
フロンティアキッズ夏目坂 施設長
東條 久美子