2022年5月
先日目にした「小学生の柔道全国大会の廃止」というニュースはとても興味深いものでした。
「心身の発達途上にあり、事理弁識能力が十分ではない小学生が、勝利至上主義に陥ることは好ましくない」というのが全柔連の出した見解です。
全国大会を目指す小学生の中には、階級を下げて出場するために無理な減量を強制されたり、危険な体勢からの技を強いられるケースがあったようです。また、対格差の大きい選手同士が戦うことの危険性も指摘されていました。
また先日完全試合を成し遂げたロッテの佐々木朗希選手を、誰もにも期待された甲子園の舞台で監督が「故障を防ぐため」に降板させたのは有名な話です。あの時の降板がなければ、今のプロでの活躍は無かったのかもしれません。
もちろんゲームなので、勝つためにおこなうものですが、「勝たないと意味がない」となることが、先に述べられている勝利至上主義です。
勝ち負けに関することはスポーツに関することだけではありません。
一般的に子どもの発達では、おおよそ3歳半ごろからかけっこやカルタなどの簡単な競争やゲームで勝ち負けを理解しはじめ、4歳頃から「勝ってうれしい」「負けて悔しい」という気持ちが芽生え始めます。
性質に大きく拠る部分がありますが、「勝つ以外は価値がない」とばかりに負けてしまうと大パニックに陥ったり、負けそうだと分かったとたんにゲームを放棄してしまう子どもの姿が見られることがあります。おおむねこういった子どもたちは、大人から見ると頑張り屋さんで「できる子」が多いという研究があります。(Thomas, Chess ニューヨーク縦断研究)
スポーツでもカードゲームでも、そのゲームの最中のワクワクや楽しさ、自分で頑張ろうとした過程は必ず存在し、負けたからと言ってその楽しさや努力の過程がなくなってしまうわけではありません。ただ、その締めくくりに勝ち負けがあるだけではないでしょうか。
勝つ喜びを知ることも大切ですが、負ける悔しさを知る大切さはもっと重要かもしれません。自分が勝った時には負ける相手が必ず存在し、その思いに気づくという他者理解の貴重な経験です。
そして、たとえかけっこで負けたとしても、1か月前よりは絶対に速くなっているはずなのです。常に成長過程にある子どもたちにとっては、どんなゲームも競争も「結果がすべて」ではないはずと思います。
子どもたちの勝敗の中で、勝った時には結果だけでなく、頑張ったその過程も一緒に認め、負けたときには頑張った過程を認めながらも、次に向かってどうするかを一緒に考えられるようにかかわっていきたいと思います。
その時に大事なことは、子どもの姿をきちんと観察し、その先の子どもたちの未来がよりよくなるように、まずは大人が「目の前の勝利」にこだわらないことのように思います。
Frontierkids KAMIUMA 施設長 伊藤由子